風車の節 3 お館さまと英琴さまとが、都からの招聘を受けて戦に発たれた。珠里が十五の夏だった。 半年あまりお屋敷を空けた後、お二人はお帰りになった。幸いにもお館さまはごぶじであられた。英琴さまは華々しく戦功をお立てになったが、戦傷が癒え切らず、治療が必要な状態であった。 英琴さまは、左肩に二つの矢傷を負っておられた。ひとつの傷はかなりの深手で、都の名医の見立てでも、完治は難しいと言われていた。 英琴さまは絶えず発熱に苦しめられ、昼夜の看護を必要とされておられた。 ただ、お帰りになった主を出迎えるためお屋敷中が忙しく、英琴さまの寝室には母と珠里のほか、二人の側女たちだけがかわるがわるに控えた。珠里は申し出て、乙夜から明までの時間を受け持った。 冬の終わり、いつもに増してその夜はひどく冷えていた。 しかし、英琴さまは臥牀のうえで熱にうなされ、夢うつつでいらっしゃった。精悍なお顔は苦痛に歪み、玉のような汗を滲ませていた。深夜の静寂を割って響く、浅い呼吸が痛ましい。 珠里は臥牀のそばに跪き、一睡もしていなかった。 命に関わりこそなけれど、腕が腐るかどうかという危機であった。広大な御領地を、数多の民の命を背負って立つはずの方のお体が、損なわれるやもしれないのだ。 珠里はそっと手を伸ばして、額の上の濡れ布巾に触れた。 綿の布巾は、英琴さまの体温を吸い、すっかり熱くなっている。すぐにでも取替えなくてはならなかった。しかし、氷を浮かべていた盥の水もとっくに温くなってしまっていた。 氷は地下の氷室から持ち出さなくてはならない。 そのためにお部屋を離れる、ほんの少しのあいだが惜しかった。 「わかぎみさま」 届かないのはわかっているが、珠里はそっと声をかける。 「氷室に降りて参ります。すぐに戻ります」 英琴さまが首を動かした。聞こえているのかもしれなかった。 「……嘉耶……」 熱に嗄れたお声が、確かにそう呼んだ。 珠里は愕いて臥牀の脇に膝をついた。 「僕はいい……大丈夫だから、母上の看病をして差し上げろ。母上のほうがご病気が重いんだ、たくさん手がいるんだ」 熱に浮かされたうわごとだ。 ご自分でも、何をおっしゃっているのかきっとわかっておられない。 幼い頃のことを思い出しておられるのか。若君はお風邪かなにかを召して、母に付きっ切りで看病をされたのだろう。それでも、お母君のことをご心配なさっていたのだ。 お優しい方なのだ。ご病気のお母君が大切で、乳母である母を頼りになさっていて、長じた後に相容れない二人の関係を知るに至り、心をお痛めになったのだ。 「嘉耶はまいりました。でも、妾(わたし)がずっとおそばにおります」 珠里は、恐れ多くも、若君のお手を握った。剣だこのいくつもできた、骨ばって硬いお手だった。それが、ぎこちなく動いて珠里の手を握り返してくださる。 「はやくお熱を下げましょう。奥方さまもきっと、わかぎみさまがお健やかになられるようお祈りくださっていますから」 自分などが、軽々しく奥方さまのお話をしてはいけないと思った。 でも、いつも張り詰めていた尊いお心とお体に傷を受け、弱ってしまっているこの方が、欲していらっしゃるのは優しい言葉だと思った。 この方は夢を見ていらっしゃる。 珠里のことは幻のように忘れてくださっている。 だから、英琴さまは、頷いてくださったのだ。 その口元が微かに笑んでいるように見えたのは、夜風に揺れる明かりのせいかもしれなかった。 幾月か後、腕の傷は奇跡のように完治した。 母はそれを涙を流して喜んだ。 「んっ……」 こらえきれず、声が漏れた。 臥牀のなか、珠里は後ろから貫かれていた。 一糸纏わぬ格好で、白い敷布のうえで四つんばいに組み敷かれている。対する英琴さまは、被衫の前を開いただけでいらした。 珠里をお召しになるとき、英琴さまはいつもお召し物を纏ったままだった。それなのに、珠里の着ている衣装は早々に、けがらわしいもののように剥いで臥牀の外に追いやるのだった。英琴さまの上等なお召し物ほどではないにしろ、きちんと洗われ、香を焚き染められているのに、そのように扱われるのは少し悲しい。 閨のなかで、珠里は、何を求められても拒まずに従った。どんな恥ずかしい姿勢にもなり、手口で奉仕し、みだらな声は出さぬよう、英琴さまのご気分を損ねることは慎んだ。 「あっ」 珠里は唇を噛み締める。口元を手で覆う。 敷布におしつけられ、後ろから揺さぶられているのはつらい。背に寒々しい空気が這い、体の芯が冷えていくような心地がする。 もののように扱われている。 こんな情のない交合でも、他愛なく感じて声を漏らしてしまう珠里を、英琴さまはきっと、冷たい視線で見下ろしていらっしゃる。 ふしだらな女よと思っていらっしゃるのかもしれない。 生来の娼妓と笑っていらっしゃるのかもしれない。 だんだんと肘が痺れて、身を支えているのが難しくなる。 それなのに、責めはますます激しくなった。腰を打ち付けられる衝撃に耐え、声もなくすすり泣いた。 ふと動きを止め、英琴さまが、背に折り重なってこられた。珠里の脇に右腕を突き、ぴたりと肌を合わされる。 珠里は、英琴さまのしたで震えた。 英琴さまは気づかれただろう。 乱れた珠里の髪を掻き分け、うなじに顔を寄せられる。右腕でおからだを支えながら、左手を珠里の顔に伸ばされる。大きなお手が顎をとらえ、唇を割った。 そんなことをしたら、こらえられなくなってしまう。 「……あ」 そう思った瞬間、ぞくぞくと体の奥に濡れたものが広がった。 珠里の柔らかい肉が英琴さまに添う。ぴったりと締め付けて、うぞうぞと蠢くのがわかった。 英琴さまが、珠里の耳元で息を詰められた。 珠里の快楽に罰を与えるように、英琴さまはまた動き始められた。 珠里の肌はますます敏感になった。英琴さまのお体に傷をつけてはいけない、指を噛んではいけないと、夢中で喉を締めて声を殺そうとした。けれど、器用な指で舌をまさぐられ、ぬるぬると口腔をかき回されて、次第に何も考えられなくなってしまった。 珠里の器が、英琴さまの肉をきつく絞った。 目の前で白く何かが弾けた。目を瞑り、その感覚をやりすごすために身を震わせた。 「だめ……っ」 珠里が耐えているあいだにも、英琴さまは容赦なく突き込んでいらした。 しかし、とうとう、珠里の奥の奥に熱いものを吐き出してくださった。 二人はしばらく重なったままだった。 口をこじ開けていた手がそっと引いて、珠里の肩を後ろから抱いた。引き抜かれ、珠里が力尽きて崩折れると、英琴さまはそのうえに覆いかぶさってこられた。 終わったら、早く臥牀を離れなくてはいけない。 でも、英琴さまのおからだの重みがそれを許さなかった。 まだ寝入ってしまわれていないことは気配でわかる。 英琴さまはただ、珠里を背中から抱いてくださっていた。 このままこうしていていいのだろうか。珠里を追い出すのを忘れてしまわれるほど、英琴さまはお疲れでいらっしゃるのだろうか。自分などがいつまでもしたになっていて、お休みになるのにお邪魔ではないのだろうか。 呼吸さえおそるおそるしながら、あれこれ思い巡らした。けれど、背中からおりてくる温もりによって、思考はひどく鈍っていった。それに、英琴さまは、いやらしい言葉で珠里を責め立ても、冷たく突き放しもなさらない。 目を閉じて、ただ、このいつ去るかもわからないはかない喜びに浸っていたい。 でも、いけないのだ。分不相応な望みは抱いてはいけない。 身じろぎもしなかった珠里が、突然にしたで動いたので、英琴さまは驚かれたようだった。 珠里は英琴さまの腕のなかから逃れ、臥牀から転がり出た。被衫を拾ってそそくさと纏い、平静を装いながらいつものように後始末の用意をした。 |