静かの夜にぞ白は儚き 拾参 和司の寝顔が目の前にある。 彼は泊まっていくと言い、夕餉を済ませて汀と長く話し込んだ。 仕事がとても忙しいらしく、ここのところ満足に休みを取っていなかったのだという。やっと見つけた一日の休暇に、汀に会いに来てくれたのだった。 とても疲れていたらしい。汀は部屋に綾に布団を敷くように頼んだ。 彼は、二組の布団の、左側で眠っていた。 汀は眠る気がしなくて、枕元でしばらく彼の顔を見つめていたが、やはり夜半頃にはうとうとしはじめた。 汀は、彼を起こさないように、こっそりと同じ布団に入ってしまった。 けれど、逆にそのせいで目が冴え、眠れなくなってしまった。頬が熱くなって、首の下のあたりがどきどきと疼く。それは、温かい彼に寄り添っているせいだけではない。 彼の寝顔は、少し子供っぽかった。起きているときは年齢よりも幾らか年嵩に見える彼だが、目を閉じるととても幼く見える。少年の頃の面影をよく残していて、汀は嬉しくなった。 汀はずっと昔、彼が寝ているのを一度だけ見たことがある。 西成の家にいた頃のことだ。あの頃、自分はまるで人形のようだった。離れにひっそりと匿われていたのは、自分が叔父や親類たちにとって邪魔ものでしかなかったからだ。周りの大人も彼らに倣ってあまり自分に近づこうとはしなかった。 親を亡くして知らない所へ連れてこられて、しばらくは泣いてばかりいた。父がもう帰ってこないのだとわかってからは、黙ってじっとしていることが一番よいのだと知った。 それでもやはり、自分は小さな子供だった。 やがて汀は一人遊びに飽きてしまった。そんな自分の所へ、和司は頻繁にやってきた。彼は自分を退屈させないためによく昔話をしてくれた。果物を携えてきたり、小さなおもちゃを持ってきたりすることもしばしばあった。 今思えば、七つも年下の子供相手に何が楽しかったのだろう。 それはいつのことだっただろうか。 とても寒い日だった。自分はいつものように和司が来るのを離れの縁側でずっと待っていた。雪がたくさん降っていた。どれだけ待っても彼は来ず、自分は外に長くいすぎたせいで風邪をひいてしまった。 それから三日も、自分は熱を出して寝込み続けた。けれど、その間彼は一度も会いに来てくれなかった。嫌われたのかも知れないと不安でたまらなくなって、目の前にいない彼を詰った。 五日目の夕方、彼はばつの悪そうな顔をして自分の所へやってきた。食べ切れないくらいの蜜柑を抱えて、彼は、学校で雪合戦をして風邪をひいてしまって、ずっと床に就いていたのだと言った。 和司を待っていて自分も風邪をひいたのだと教えると、彼はますます申し訳なさそうな顔をした。 自分が寝たり起きたりを繰り返す間にも、和司は枕元に座って学校のことや友達のことを話してくれた。彼が語ったのは他愛ないささいなことばかりだ。けれど、自分が笑うと彼も笑ってくれるから、汀はそれが楽しくてしかたなかった。 その次の日には、和司は一日中自分のところにいた。 自分は、薬を飲んだせいかうとうととしていた。目を覚ますと、布団の側で和司が胡座を組んで座ったまま眠っていた。 初めは彼が寝ているのだとは思わなかった。けれど、話しかけても応えがなかったので、眠っているのだとわかった。 俯いている彼の顔をこっそりと覗き込んだとき、何だか少しくすぐったいような感じがした。 汀は、彼の顔にそっと手を伸ばした。少し秀でた額から、こめかみをたどって頬に指を滑らせる。耳を撫ぜて、人差指で薄い口唇に触れた。 彼の瞼が少し動いたような気がした。 汀は驚いて手を引っ込めた。和司の目が開かれ、汀を見る。彼は不機嫌そうに眉を顰ていた。 「……寝られないだろう」 「寝てなかったの?」 尋ねると、彼は汀から目を反らした。 「隣で君がごそごそしているのに、眠れるはずがない」 「ごそごそなんて、してないわ」 「いきなり俺の布団に入ってきたくせに」 「眠かったの」 「布団は別にあるだろう」 「ここがよかったんだもの」 「でも、寝てないじゃないか」 「……ここがいいのよ」 「それなら、俺があっちで寝る」 和司は起き上がって、向こうの布団に行こうとした。汀は彼の袖を引っ張った。 彼は振り向いて、眉を寄せる。 「初瀬」 彼の声が、責めるような響きを帯びた。 ここにいたいのは、和司が側にいるからだ。それなのに、どうしてわかってくれないのだろう。 「一緒がいいの」 「それじゃあ、俺はいつまでも眠れない」 「じっとしてるわ。起こしたりしないから」 「そういうことじゃないんだ。……わかってくれよ」 わかってほしいのは自分のほうだ。汀は彼をじっと見つめた。 彼は浅くため息をつき、言い難そうに口を開く。 「二人で同じ布団の中に居て、俺が何も考えないわけがないだろう?」 そう言って彼は、視線を落とした。 汀はしばらく、惚けたように和司の袖を掴んだ己の手を見ていた。そしてようやく彼の言っていることの意味がわかって、急に恥ずかしくなって、その手を放した。 自分は子供だ。 同衾することなど何とも思っていないと言いながら、何もかも知ったような顔をしながら、彼の気持ちを考えられなかった。彼は汀を傷つけまいとしていたのに。 「……ごめんなさい」 「いいよ。君のせいじゃない」 彼は少し複雑そうな顔で笑って、向こうの布団へ移った。掛け布団を剥いで、その中に潜り込む。 「おやすみ」 それだけ言って、和司はあちらを向いて、枕に頭を預けた。 「……うん」 汀も、まだ和司の温もりが残ったままの布団に入った。 眠っているのだろう和司の頭を見つめているのが寂しくて、目を瞑った。けれどもなかなか寝つくことができない。 汀は身体を捩って和司に背を向けた。 寒い、と思った。手指の芯がじんと冷える。 早く眠ってしまおう。そう思って、凍えるように布団の中で膝を抱えた。 「……初瀬」 後ろから和司の呼びかけが聞こえた。眠っていなかったのだろうか。 汀は少し驚いて首を回し、彼を見た。 彼はいつの間にか起き上がり、汀のほうを向いていた。 「寒くないか」 「……」 汀は答えなかった。すると、彼は、はにかんだ。 「俺は、寒い」 自分もそうだと、汀は言おうとした。 けれど、それはやめた。 汀は身体を起こして、和司の布団に入った。彼は汀のために身体をずらし、枕を譲ってくれた。 汀は、和司のシャツの胸に頬を埋めた。布団はやはり少し狭かったので、汀はより近くに寄り添った。 「……何もしないからな」 言い訳のように彼は言った。 「うん」 余すところなく和司の温もりに包まれて、汀はそっと目を閉じた。 そして、優しい眠りに落ちていく。 |