六羽の白鳥
おまけ
そして雨降る処刑台









 広場に雨が降りはじめました。
 小さな雫がひとつ、またひとつ、娘の頬を濡らします。
娘をしっかと抱きしめる国王さまの金色の髪を湿してゆきます。
 観衆が、ぽつりぽつりと広場を去ってゆきました。娘の六人の兄たちも、魔女の奥方と金持ちの息子を引き摺って、振り返りながら二人の側を離れました。
 国王さまの前髪から、雨が伝い落ちてきて、娘の顔に滴りました。
 娘は思わず目を閉じました。
 次の瞬間に感じたのは、雫を拭う国王さまの柔らかな唇でした。
「おまえの」
 国王さまは言いよどみました。娘は続きを待ちました。
「おまえの、本当の名前は」
 甘い緑色の愛しい瞳が、うかがうように、不安そうに娘をのぞき込みます。
 娘は微笑みました。
 国王さまの首に腕をまわし、ぎゅっと抱きしめかえしました。
 耳の後ろの皮膚に唇を近づけます。
 ほのかな青草の香りに、待ちこがれていた幸福を感じました。
 娘は、ひとつの言葉を囁きました。
 お父様のつけてくださった、可愛らしい響きの名前。
 他の誰にも呼ばれることはなかったけれど、いつもいつも、国王さまが優しく呼んでくださっていた名前。
 国王様は娘から体を離し、大きく目を見開きました。
「まさか」
 娘は、まっすぐに国王さまを見つめます。
 国王さまは、感慨深そうに、はにかむように俯きました。
「そうか。……そうか。伯爵は、喜んでくれているかな。おまえの花嫁姿を、見たかったに違いないのに」
 娘が深くうなずくと、国王さまは娘の体をひょいと横抱きにかかえあげました。
 娘は驚いて、逞しい胸にしがみつきます。
 顔を上げると、国王さまは子供をからかうように娘を見つめているのでした。
「いつまでもこうしているわけにもいくまい。どこにでも私が連れていってやろう。どこに行きたい? おまえの故郷か、あの森か? それとも」
 娘は小首を傾げます。
 それは、出会ったときからの娘の癖のようなものでした。
 娘が喋らないかわりに、国王さまがそのぶんも言葉を補ってくださっていたからです。
 確かに、故郷の館は生まれ育った懐かしいところです。そこにはお父様とお母様が眠っていらっしゃるのです。国王さまと出会ったあの森の小屋も、思い出の多い大切な場所でした。
 けれど、娘の行きたいところは、帰りたいところは、たった一つです。
 国王さまに、それがわからないはずはないのに。娘は瞬きを繰り返しました。それも、話さない代わりの仕種でした。
 国王さまが、焦れたように咳払いをしました。
 それで、やっと、娘はわかったのでした。
「帰りましょう、お城へ」
「うむ、それで? 帰りついたら何をする?」
「あの子たちを探しましょう」
「見つけたらどうする。何をする?」
 国王さまの目は少年のように輝いていました。
「……いじわるなかた」
 娘は唇を尖らせました。
 国王様はあらぬ方向を見やり、肩をすくめます。
「心外だ」
 けれど、自然と、唇が笑みを描くのです。
「……みんなで、ずっと、一緒にいましょう」
 国王さまは満足そうに、娘を抱えなおしました。
 そして、雨の処刑台を下りました。
 その歩みは、ゆっくりでしたが、確かなのでした。










←back  works