六羽の白鳥





 娘は床に伏せるようになりました。
 こうなると、国王様も何らかの手を打たねばならなくなりました。いなくなってしまった子供たちを捜索させていますが、いっこうに芳しい知らせはありません。
 女の子を攫ったのは、またもや王太后様でした。
 栗色の髪に茶色の瞳をした、お妃様にそっくりの赤子です。王太后様は、今度こそ殺してしまおうとお思いになりました。
 侍女に抱かれた乳飲み子は、ろくに人の見分けなどつかぬくせに、王太后様がお姿を現した途端ににこりと微笑んだのです。
 愛らしい、などといったものではありません。これほど美しい赤子を、王太后様は見たことがありませんでした。罪のない赤子を殺すことなど、王太后様にはおできになりませんでした。
 王太后様は女の子を抱き上げました。
 この赤子は、魔女の腹から産まれ出たくせに、温かく柔らかくこれほどまでに可愛らしいのです。王太后様は、乳飲み子を持った母親を捜し、この子の世話をさせました。
 いっぽう、お妃様は魔女なのだという噂は、今や国中で当然のように囁かれていました。
 国王様は、そんな下らない作り話を信じる気にはなれませんでした。
 そんな折、ある書簡が国王様の手元に届いたのです。
 お妃様は魔女だと、その手紙にはしたためられていました。それだけだったならば、国王様はいつもの嫌がらせだと笑うことができたでしょう。
 その手紙には、こう続けられておりました。
『喋らず、笑わず、泣かないというのは、悪魔に心を売り渡した者であるという証拠です。その娘はイラクサの衣を編んでいるのではありませんか。森の動物を操りはしませんか。願を掛けながらイラクサで編んだ衣には、魔法の力があるのです。憎い者を白鳥に変えてしまうという魔法です。
 魔女は、赤子の血肉を食らい、悪魔に捧げてしまいます。
 お妃様は魔女に違いありません。火炙りの刑にかけなければなりません』
 手紙には署名がありませんでした。しかし、そんな手紙を国王様に送る者が、あの領主様の奥方様のほかにありえたでしょうか?
 先の奥方の残した末娘が国王様のお妃様であると知った奥方様は、恐怖に震えました。娘がイラクサの衣を編み終える前に、何とかして娘を殺さなければならないと思ったのです。
 なぜ、国王様とお妃様しか知らないはずのイラクサの衣のことを、この手紙の送り主は知っているのでしょうか。
 国王様は、愛しい娘が魔女であると思ったことは一度もありません。しかし、そうなのではないかと疑っておしまいになったのです。
 一度心に芽生えた疑いは、決して拭い去られることはありません。
 王太后様をはじめ、弟君や大臣たちまでもが、お妃様は魔女なのだと公言してはばからなくなりました。魔女は火炙りにしてしまえと、そう言い始める者も出始めました。
 国王様は、娘に言いました。
「外でみなが何を噂しているか、おまえは知らないわけではないだろう?
 私は、おまえが私たちの子を食べてしまっただなんて、少しも思ってはいないよ。しかし、私たちの子は攫われてしまった。おまえは笑いも泣きもしないでいる。たったそれだけのことで、おまえはあんなひどい噂をされているのだよ。
 おまえがほんの少し微笑みさえすればそれでいいんだ。それでみな満足するのだ。あの子たちもきっと戻ってくる」
 国王様は、優しい声でそう諭します。
 けれど、娘には微笑むことはできないのです。
 イラクサの衣は、もう既に五枚は編み上がっていました。
 残すのは、六枚目の左袖だけなのです。娘の技量をもってすれば、あと一月あればこの左袖を縫い上げてしまえるでしょう。
 そうすれば、五年間も白鳥の姿でいなければならなかった兄たちは人間の姿を取り戻し、娘は言葉をふたたび得ることができるのです。
 愛しい国王様の名を、可愛らしい子供たちの名を、愛の言葉を、いくらでも口にすることができるようになるのです。国王様が恋した令嬢は自分なのだと、国王様に告げることができるのです。
 娘は必死で衣を編み続けました。指先に血がにじみます。それも厭わず、娘は編み続けました。
 半月して、袖は半ばできあがりました。お妃様を裁判にかけるという元老院の議決が国王様のもとに届いたのと、ほぼ同時でした。
 元老院の決定に逆らうことは、いくら国王様でもできません。娘は元老院に引き摺り出されました。
 娘が魔女であるということをあかす証拠が、次々と並べ立てられました。その全ては、心無い者たちの捏造した偽りでした。しかし、真実を叫ぶことは、娘にはできませんでした。
 一人の男が証人として連れてこられました。
 その男は、かつて娘に狼籍をはたらいた街の大金持ちの息子でした。その男は、娘が自分を誘惑し、動物を操って自分を殺そうとしたなどと証言しました。この男が娘に恋をしていたことは街中のみなが知っていましたから、それが嘘偽りだと言ってくれる者もおりません。
 国王様は、力なく項垂れている娘を見つめていました。老獪な元老院の議員たちは、黙して語らぬ娘を容赦なく糾弾します。
 国王様は、今すぐにでも娘の前に立ちはだかって、娘を守ってやりたいとお思いになりました。
 元老院は、お妃様が魔女であるという判決を下しました。半月後に王宮前の広場で処刑されることが決まりました。
 娘は縄打たれ、牢獄に入れられました。王族への配慮などありません。娘はドレスを剥ぎ取られ、囚人用の衣服を着せられました。
 娘が押し込められたのは、塔の最上階の窓が一つだけの狭い部屋でした。
 鉄格子のはまった窓から、鈍い灰色の空が見えます。冬の空に、白鳥が六羽、連なって飛んでいるのが見えました。
 娘の手元には、もうイラクサの衣はありません。何もかもを奪われて、娘は投獄されたのですから。娘は藁の敷かれた石床の上で膝を抱き、絶望にうちひしがれていました。食事を運ぶ役目の牢番は、何を言っても顔色一つ変えない娘を見て、薄気味悪いと漏らしました。
 処刑が十日後に迫った日、国王様が娘の牢獄においでになりました。
 国王様は、部屋のひどい有り様に眉を顰めました。そして、娘の冷たくなった手を握り、懇願しました。
「たった一度でいいんだ。たった一度私に微笑みかけてくれればいい。それで、私は元老院に証言をしてやる。今すぐおまえの処刑を取り止めさせる。お願いだ、私は、おまえを殺させたくないのだ」
 娘は首を横に振りました。娘は確かに魔女でした。笑い方など、とうの昔に忘れていたのですから。
「お願いだ。私のために笑っておくれ。おまえがいなければ、私はどうにかなってしまう」
 国王様は、その浅黒い頬に、ひとすじの涙を流しました。
 愛しい人にこんなことを言わせてしまった、そのことが娘をうちのめしました。誇り高く美しい国王様が、汚らしい牢獄の一室で、みすぼらしい身なりの娘に哀願しているのです。娘は、早く帰ってくれと、国王様に促しました。
 国王様は、気落ちしてお帰りになりました。
 娘は、ぼんやりと窓の外を見ました。
 白鳥の姿は見えません。兄たちにさえ、娘は見捨てられてしまったのでしょうか。
 このまま死んでしまうのだと、娘は思いました。
 兄たちを元に戻すこともできず、子供たちは死んでしまったと信じて亡くなってしまった父上の墓に参ることもできず、愛していると囁いてくださった国王様に報いることもできず、攫われてしまった可哀想な子供たちの名を呼んでやることもできずに死んでいくのだと。
 娘は、自分が我儘すぎたのだと思いました。
 大切なものが多すぎたのです。何もかもを愛そうとして、何もかもを見失ってしまったのです。
 魔女などという大それた呼び名は、自分には勿体無いと思いました。
 どんなにみじめでも、涙は零れないのです。己を笑うこともできないのです。
 娘は、干草の硬い寝台の中で眠りました。
 処刑を明日に控えて、娘は牢獄の地下に移されました。王太后様のお慈悲で、沐浴を許され、真っ新な木綿の服に着替えさせられました。娘のやせ細った身体には、その服は大き過ぎました。余った袖が白鳥の翼のように見えました。
 部屋は礼拝堂のような作りになっていました。蝋燭の薄明りに浮かび上がる十字架に向かって娘は跪き、手を組みました。
 兄たちに、イクラサの衣を編んでくれる女人が現れますように。伯爵家を継いだ方が、父の墓を大切にしてくれますように。兄たちを白鳥に変えてしまった奥方様が、もう二度と罪を犯しませんように。国王様が新しいお妃様を娶って幸せになれますように。子供たちが無事でいますように。
 やはり自分には大切なものが多すぎたと、娘は祈りながら思いました。
 しかし、投げやりな気持ちではないのです。心はなぜか凪いでいました。国王様と出会った泉からこんこんと湧き出ていた水のように、透明に澄んでいるのです。
 娘の脳裏に、イラクサの繁る懐かしい森の風景が浮かびました。
 イラクサは墓場に咲く花です。茎には鋭い刺を持ちながらも、夏には小さな白い花を咲かせるのです。イラクサの衣を編み続けた五年間のうちに、娘はそれを知りました。娘は、自分の死んだ所に、イラクサの花が咲けばいいと思いました。
 礼拝堂の石の扉が、軋みながら開きました。
 娘は静かに振り返りました。いらっしゃったのは国王様でした。
 娘は立ち上がろうとしました。しかし、半月の牢獄暮らしのために萎えた足では、立つことすらできません。あかぎれだらけの素足が冷たい石床で擦れてひどく痛みました。
 国王様は澄んだ緑色の瞳で娘を見つめていました。
「もう、笑わなくても泣かなくてもいい。魔女だって悪魔だってかまうものか。おまえが生きていてくれればいい」
 国王様は、声を振り絞るようにそうおっしゃいました。
 国王様の導き出した結論でした。疑心暗鬼にさいなまれ続けた国王様は、たった一つの心のうちの真実をやっと見つけることができたのです。
 国王様の脳裏をよぎったのは、やはり、儚く破れたかつての恋でした。死によって分かたれること以上に辛いことなど、国王様には思い浮かびません。
「外に馬車を用意させている。それで、噂の届かぬ静かな場所へ行きなさい。
 子供たちのことは心配するな。必ず私が見つけだして、立派に育ててやるからな。
 それから、私は生涯妻は娶らんが、それはおまえのせいではない。私が不能になってしまったことにする」
 国王様は笑いました。
 その笑みが眩しいと、娘は思いました。
 娘が笑いたいとき、いつも国王様が笑ってくださっていました。娘が泣きたいときには、国王様が娘を抱きしめてくださっていました。
「私はおまえに、二度恋をしてしまった」
 国王様の目は穏やかでした。
 しかし、娘には、国王様が何をおっしゃっているのかわかりません。
「あの絵姿に描かれていたおまえと、今目の前にいるおまえと。別人だとわかっていながら、私には信じることができなかった。同じだけ愛しくて、同じだけ大切だった」
 国王様は、絵姿の娘に話しかけているのではありません。
 目の前にいる娘に話しかけているのでもありません。
 この方はわかってくださっているのだ。言葉などなくても、この方はわかってくださったのだ。娘はそう思いました。
「外は暗い。用心して行きなさい」
 国王様は、娘を立ち上がらせました。
 娘には動くことができません。
 娘は、国王様の衣の襟を掴みました。このままここに残ろうと思ったのです。処刑されてしまってもかまわないと思いました。 この方と、一瞬でも離れることなどできないと思ったのです。
 十日前に国王様がおっしゃったではありませんか。おまえがいなければどうにかなってしまう、と。それは嘘だったのでしょうか。少なくとも、それは娘にとっては本当のことでした。
 娘は、国王様の腕を振り払いました。ここから娘を連れ出そうとする国王様を、首をうち振りながら拒みました。
「言うことを聞いてくれ。お願いだ……」
 国王様は引き下がりません。
 娘が力でかなうはずもなく、娘は国王様に軽がると抱き上げられてしまいました。娘は国王様の腕の中で暴れました。抗いなどものともせず、国王様は娘を馬車の中に放りこみました。
 馬車の中には、大きな麻袋がありました。編み上がっている五枚のイラクサの衣と編みかけの六枚目の衣、編棒とイラクサの糸鞠が、袋の口から覗きました。国王様が娘の小部屋から持ち出してきたのです。
 娘は国王様を見つめました。
 国王様は寂しそうに笑って、その長身を屈め、娘にくちづけました。
 触れるだけの、一瞬のくちづけでした。
 はじめて交わした、別れの言葉の代わりのくちづけに、とてもよく似ていました。
 国王様は馬車の扉を乱暴に閉めました。そして、御者に行けとお命じになりました。
 だんだんと遠ざかっていく国王様を、娘は食い入るように見つめていました。
 私の命は助かるかもしれない。兄たちは元の姿に戻れるかもしれない。
 では、私がいなければ生きていけないとまでおっしゃってくださった、あの方は?
 馬車は、娘の知らない土地へ向かって進んでいきます。
 馬車は、あの愛しい方から離れていきます。
 娘には、暗闇の中で小さくなっていく国王様の姿を見ていることしかできませんでした。
 御者が心配そうに馬車の中を見つめています。小窓を開け、彼は娘に尋ねました。
「お妃様、どちらへ参りましょう」
 彼は身体は前方に向けているくせに、後ろに座っている娘を肩越しに見ているのです。
 娘は気がつきました。
 引き返すこともできるではないか、と。
 娘の傷だらけの指先が、真っ直ぐに後ろを指し示しました。
 夜が明けました。
 空ではこうもりが群れて飛び交っています。その中に六羽の白鳥がいたことに、一体誰が気づいたでしょうか。
 魔女のお妃様の処刑は、早朝に行なわれることになっていました。
 王宮前広場には、木材で処刑台が組み立てられていました。薪やら枯れ草やら藁やらが周囲に積み上げられています。
 中央にそびえ立つ太い柱に罪人を縛り付け、火を付けると、処刑台そのものが燃える仕組みになっているのです。油を撒くのは、炎が激しくなる代わりに煤が出て煙が臭くなるので、あまり好まれてはいませんでした。それに、炎が激しくなると罪人が苦しむ時間が短くなってしまうのです。
 国王様は、物見台に用意された席から処刑台を見下ろしていました。
 まだ辺りは暗いというのに、何百人もの見物人が処刑台を取り囲んでいました。女子供もいれば、酒を呑んでいる者、歌を歌っている者もいます。みな、魔女が姿を現わすのを待っているのです。
 公開処刑は、人々にとっては格好の娯楽でした。
 その中には、六人の青年たちを白鳥に変えてしまった、魔女の奥方様の姿もありました。娘に求愛を拒まれたために、娘が魔女なのだと証言をした街の金持ち息子の姿もありました。誰よりもこの処刑を心待ちにしていながら恐れていたのは、この二人でした。
 国王様は見世物のようなこの処刑の方法がお嫌いで、いつもは立ち会うことなどありません。しかし、大臣たちがぜひご覧になるようにと国王様に強いたのです。
 胸が悪くなるのを感じながらも、国王様は安堵なさっていました。ここにくくり付けられるはずのお妃様は、既に王都を逃れ出ていることでしょう。
 今頃は、牢獄でも大騒ぎのはずです。なにせ、処刑される本人は牢獄にいないのですから。国王様ご自身が、逃がしておしまいになったのですから。
 国王様は、肘掛けにひじを付きました。ぼんやりと処刑台を見下ろします。
 人々が何やら騒ぎ始めました。国王様は、娘が牢獄にいないことが役人たちに知れてしまったのだろうと思いました。
 どうやら違うようです。
「魔女だ!」
「魔女が来た!」
 そんな声が遠くで聞こえました。
 そこにいたのは、白い衣を着た小柄な人間でした。
 人混みをかきわけて処刑台の上に駆け上がろうとしています。
 役人が彼女を取り押さえようとします。
 国王様は目を疑いました。
 白い衣の女は、褪せた緑色の布をたくさん抱えた、お妃様でした。
 昨晩、国王様が馬車の中に押し込めたはずの、別れを告げたはずの、愛しい娘でした。
 野次を飛ばす人々。娘に縄を掛けようとする役人。たいまつを持った死刑執行人。数え切れないほどの人々の憎悪を一身に集めながら、娘は毅然と立っています。
 臆している様子は少しも見られません。
 娘と国王様の視線が、結ばれました。娘は、気丈にも国王様を見返します。
 なぜ娘は戻ってきたのでしょう。死ぬために戻ってきたのでしょうか。死なせないために別れたというのに。
 国王様にはわかりませんでした。
 国王様はいてもたってもいられず、物見台から身体を乗り出しました。
 誰かが娘に向かって、石を投げました。小さな石は娘の顔を掠めました。娘は僅かに顔をしかめただけで、石のきた方向を振り向きもしませんでした。
「馬鹿め!」
 国王様は叫びました。その叫びは、娘には届いていないようでした。  娘は空を見上げています。
 捧げるように腕を掲げ、空を見上げています。
 その表情は、まるで天使かなにかのように敬虔でした。
 栗色の髪に茶色い瞳の、愛らしい美しい天使でした。
 人々は息を呑みました。
 国王様は階段を駆け降りました。
 魅せられたようにぼうっと突っ立ったままの観衆の合間を縫って、処刑台に向かいます。
 白鳥が、処刑台の柱を取り囲むようにゆうるりと飛んでいます。
 六羽の白い大きな鳥は、娘を守るかのように翼を広げています。
 娘は、腕に抱えていた六枚のイラクサの衣を、天に向かって投げました。
 灰色の空が、一瞬だけイラクサの色に染まりました。
 白鳥たちが、器用にもその衣を纏っていきます。
 翼をたたみ、処刑台に降り立ちました。
 そして、白鳥は、六人の美しい青年たちに姿を変えたのです。
 青年たちはみな、逞しい裸身にイラクサの衣を纏っていました。
 五人の青年が処刑台から優雅に飛び降りました。彼らは、二人の罪人を探しだしました。立ち竦んで動けないでいる魔女の奥方様と、娘を讒言によって陥れようとした男です。
 娘は、力尽きたようにしゃがみこんでいました。
 残った一人の青年が娘に近づき、その身体をそっと抱き上げました。
 娘の身体は寒さに耐えかねているかのように震えていました。
 何かを求めるように、細い指先が空を掻きます。
 娘の名を呼ぶ声が、はっきりと聞こえました。
 国王様が駆け寄ってきます。国王様は、兄の腕から娘の身体を抱き取りました。腕の中にしっかと抱きしめます。
 国王様は、娘の冷たい頬を両手ではさみ、覗き込みます。
「馬鹿め」
 国王様はもう一度呟きました。しかし、その響きは優しいのです。
 娘は、微笑みました。
 美しい美しい笑みでした。
 花の綻ぶような、温かい春のような笑みでした。
 国王様は、思わず見とれてしまいます。
「……あなた」
 甘い囁くような声が、国王様を呼びました。
「心配ばかりかけて……ごめんなさい」
 娘は瞬きをしました。
 涙が頬にこぼれおちる前に、国王様は娘のまなじりに口唇を寄せていました。
「許してやる。何だって許してやる」
 国王様は言いました。
 その代わり私の名を呼んでほしいと、国王様は娘にお願いしました。
 娘は首を傾げます。
「一度でよろしいの?」
「いいものか。私の命尽きるときまで、何度でもだ」
 娘は、幾度も幾度も、国王様の耳元で、国王様のお名前を呼び続けました。そして国王様は、飽きることなくそれに聞き入っていらっしゃいました。
 処刑台に集まった民衆は、魔女の火刑よりも何倍も話の種になるような、国王様とお妃様の甘い甘いロマンスを目にしたのです。
 国王様と娘がお城に戻ると、二人の寝台の中では、二人の可愛らしい子供がすやすやと眠っていました。本来情の強い気質であらせられる王太后様が、心の底から後悔なさって、乳母の元から子供たちを取り返していらっしゃったのです。
 娘は、安らかに眠る二人の子供のために、子守歌を歌いました。
 その歌声は、とても美しく澄んでいるのに、お城中に響き渡りました。厳つい顔の大臣たちも、お妃様を恐れていた侍女たちも、料理番も庭師も、その声に熱心に聞きほれました。
 国王様とお妃様は、幾つかの困難を乗り越えて、いつまでも幸せに暮らしました。
 その後本物の魔女の奥方様が火刑に処せられたかどうかは、書物には遺されておりません。
 なお、偽りの証言で娘を陥れようとしたお金持ちの放蕩息子は、父上に勘当されて吟遊詩人となりましたが、さっぱり売れなかったということです。









(了)



←back  works