六羽の白鳥





 領主様の寝室の窓辺には、色鮮やかな鞠が飾ってありました。
 赤と緑の布でできた、小さいけれど美しい鞠でした。
 領主様は、その鞠をとても大切にしていらっしゃいました。お付の侍女たちにも触れることをお許しにならないほどです。
 その鞠には秘密がありました。
 領主様がお城の外にお出でになり、鞠を地面に落としたとたん、鞠はひとりでにころころと転がってゆくのです。まるで道を指し示すかのように、ころころと転がってゆくのです。
 領主さまは、おひとりで鞠を追いかけられます。
 鞠は、深い深い森の中へと領主様を導きます。ひとたび迷い込むと、決して無事には出てこられないという迷いの森です。
 ですが、領主様は、ためらうことはなさいません。
 鞠の行き着くところをとてもよくご存じだからです。
 鞠は、森の奥の奥、小さな御屋敷の前でぴたりと止まりました。
 高い壁に囲まれた美しい御屋敷です。
 暗い森の御屋敷には、領主様の子供たちが住んでいました。隠れるように住んでいました。その御屋敷には、六人の兄と、一人の妹が住んでいました。
 迷いの森に子供たちを住まわせるなどと、なんと恐ろしいことかと、お思いになる方がいらっしゃるかもしれません。その心配は無用なのです。
 森の動物たちは、みな子供たちを愛していました。小鳥もきつねもおおかみでさえも、子供たちが大きくなってゆくのを見守ってきたのです。
 おおかみよりも恐ろしいのは、領主様の奥方様でした。
 この七人の子供たちは、領主様と先の奥方様との間に生まれた子供たちでした。先の奥方様は、流行り病のために、まだ赤子だった末娘を生んですぐになくなってしまいました。
 領主様は、お優しくて美しかった先の奥方様をとても愛していました。
 ですが、領主様は新しい奥方様を迎えてしまったのです。
 新しい奥方様は、魔女でした。
 新しい奥方様が、気に入らぬ相手に呪いをかけ、死に至らしめてしまうということを、領主様はご存じでした。ですが、縁談を断るわけにはまいりませんでした。ご領地を治めるには、どうしても女手が要ったのです。
 領主様は、愛しい愛しい我が子たちを、迷いの森の御屋敷に隠しました。さいわいにも子供たちは森の全てに愛されていました。子供たちは美しくかしこく、健康に育ってゆきました。とても仲の良い兄弟でした。
 だからこそ奥方様に子供たちを見つけさせてはならなかったのです。
 領主様は魔法の鞠を使いました。  魔女である奥方様でさえ、迷いの森の御屋敷を見つけることはできません。魔法の鞠だけが、愛しい子供たちの居場所を知っているのです。
 あるとき、奥方様が領主様におっしゃいました。
「あなたはいつも、おひとりでこっそりとどちらへいらっしゃるの?」
 領主様はお答えになりました。
「私は私ひとりの花畑を持っている。いつも大切に世話をしているのだよ。あなたにも、今度美しい花を持ってきて差し上げよう」
 領主様のお言葉には、嘘はありません。
 まこと七人の子供たちは、領主さまにとって大輪の花々にも劣るものではないのです。
 領主様は、小さな鞠をそっと撫でました。
 しかし、奥方様に怪しまれてはいけないと、領主様は昼間に鞠を使うことをお止めになりました。
 雪の夜でさえも、夜の更けた頃に寝室を抜けだし、領主様は寒さを厭わずに迷いの森へいらっしゃいました。
 どんなに冷たい風が吹き荒れても、暖かい屋敷で子供たちが温かく迎えてくれることを思えば、平気でした。
 目敏い奥方様は、またこのようにお尋ねになりました。
「あなたはいつも、真夜中に、こっそりとどちらへいらっしゃるの?」
 領主様は笑って、おっしゃいました。
「空の晴れた夜は、星を見ている。雪の降る夜は雪を見ている。雨の降る夜は、あなたとともに寝台の中にいるよ」
 奥方様は、まだ訝しんでいらっしゃるご様子でした。
 領主様は、小さな鞠をそっと撫でました。
 末の娘は、亡くなった先の奥方に瓜二つに成長してゆきました。
 領主様の大好きだった、艶々とした栗色の髪。聡明そうな明るい茶色の瞳。何よりも領主様が愛していたのは、娘の声でした。澄んでいて、甘く響く声。その声でお父様と呼ばれると、領主様は涙をこらえることができなくなってしまうのでした。
 娘は十四になりました。先の奥方の若かりし頃と見紛うほどになりました。六人の兄たちも、妹をとても可愛がりました。
 領主様は、御屋敷を訪れて娘をご覧になるたびに、今はもう亡い愛しい方を思い出しなさるのでした。
 このままでは、遅かれ早かれ奥方様に見つかってしまう。領主様はそうお思いになりました。子供たちも、今や立派に成長していました。小さな御屋敷に押し込められることを窮屈に思っている兄たちもいるでしょう。
 領主様は、子供たちを広間の暖炉の前に集めて、おっしゃいました。
「お前たちはすっかり大人になってしまった。
 この狭苦しい屋敷から出たいと思っている者もあるだろう。もしもお前たちが望むならば、お前たちがこの森から出て暮らせるようにする手筈を調えよう。
 おまえたちと離れてしまうのは寂しいことだが、おまえたちはもう独り立ちできるようになったのだからね」
 兄たちは、父上のお言葉を素直に喜びました。
「私は靴職人になりたいのだ。街に出たい」
「王立図書館に行きたい。私は学者になりたいのです」
「仕立て屋で働かせてください」
「僕はパン焼き職人になろう」
「私は詩人になろうかな」
「牧場を持ちたい」
 六人は、各々の願いを口にしました。
 中には領主様を戸惑わせるような望みもありましたが、領主様は安心していました。誰一人として、領主様のあとを継ぎたいという息子がいなかったからです。
 六人のかしこい兄たちは、わかっていたのです。領主という地位のために父上がどれだけお苦しみになってきたかということを。
 少しだけ寂しさを感じながら、領主様は微笑まれました。
「おまえたちの願いをかなえてあげよう。ああ、落ち着いたら、必ず手紙を寄越してほしい。この老いぼれを放っておくようなことはしないでおくれ」
 兄たちは頷きました。
 そして、領主様は、暖炉の前の絨緞の上にぽつんと座っている、一番幼い娘を見ました。
「おまえはどうしたいかね?」
 優しい声で領主様はお聞きになりました。
「わたしは、ずっとここにいます」
 小さな声でそう言ったあと、娘は絨緞の上に放られていた編み物を引き寄せました。
「わたしはまだ子供です。お兄さまたちのように、自分のしたいことも決められないのです」
 それが愛らしい嘘なのだと、領主様にはわかっていました。
 兄たちも自分もここから去ってしまったら、父上がたったおひとりになってしまうことを娘は知っていました。自分だけでも父上の傍に居て差し上げようと、幼い娘は思っていたのです。
「おまえは優しい娘だね」
 領主様は、娘のほっそりとした身体を抱きしめました。かつて愛した女性に瓜二つの娘を抱きしめました。
 領主様は、娘を国王様に嫁がせようと思っていました。
 領主様は、国王様のことを、聡明で公正な方だとお認めになっていました。それに、国王様のお妃になれば、魔女である奥方様でさえ、害をなすようなことはできません。
 領主様は、伯爵の称号をお持ちです。娘は、亡くなったとはいえ奥方のお産みになった娘なのですから、お妃になるのに何ら遜色はありません。それに、たとえ幼くても可愛らしくかしこい娘でしたから、国王様のお目がねにかなうはずです。
 そう思って、国王様に、娘の絵姿をお見せしたこともあります。
 もしも、娘がきれいな花嫁になりたいとでも言えば、領主さまは娘を着飾らせて、今すぐにでも国王様のみもとへ馳せ参じようと思っていました。
 娘の口唇から出た意外な言葉に、領主様は胸を締め付けられてしまいました。
 ああ、だからこそ、この娘を幸せにしてやらなければ。
 領主様は心の中でそうお思いになりました。  あの愛しい人とそっくりな娘だから、この娘を一番に幸せにしてやらなければ。
 領主様は、娘の頼りない肩をもう一度きつく抱きしめられるのでした。




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