運命の石 公爵の恋 1 朝日の注ぐ部屋の窓辺に、ひとりの娘がしゃがみこんでいた。 そのおもては紙のように白く、翡翠色の瞳は涙に濡れてうつろだった。亜麻色の髪が乱れ、ほつれ毛が頬にかかっているのが痛々しい。 コンスタンスは部屋の入り口にたたずみ、三つ年下だというこの娘を見つめていた。 いやしくも伯爵夫人付きだった自分が、この貴族でもない娘に仕えるよう命じられたのは、つい一時ほど前のこと。娘は、亡き先代の伯爵が女中との間につくった子だった。 都で夫人に仕えていたコンスタンスは、それまで、この娘のことなど名前さえ知らなかった。もちろん、娘が昨晩、妻ある高貴な男に見初められ、その情けを受けたばかりだということも。 「ソランジュ様」 コンスタンスは呼びかけ、娘に近づく。 娘は気づいた様子もない。 娘は細い腕のなかに大きな布のかたまりを抱いていた。 それを取り上げるのが、この娘の侍女となったコンスタンスの最初の仕事だった。 コンスタンスが手を伸ばすと、娘が怯えたように顔をあげた。 「何を……」 よわよわしい制止の声を無視して、コンスタンスは大きな布のかたまりをむしり取る。 「やめて!」 「旦那様のご命令です」 コンスタンスは冷たく言い、追いすがるソランジュをしり目に部屋を出た。 取り上げたものはただちに焼き捨てるよう命じられていた。 娘から自分が奪ったのが、娘が手ずから仕立てていた婚礼衣装だと知るのは、そのあとすぐのことだった。 彼女は翌年の秋、隣国に嫁ぐはずだった。 ソランジュは、先代伯爵の愛人の娘として生まれた。 母は娘が幼いうちに死に、残されたソランジュは、都で暮らす伯爵一家とは引き離されて辺境の領地の屋敷で育った。 先代伯爵は、半端な身の上の娘をもてあまし、尼僧院に入れようと考えていたという。 しかし、ソランジュが十五の秋、何をどうしたものか、彼女に求婚する男が現れた。隣国の子爵に仕える若い騎士で、天涯孤独だが子爵の厚い信頼を得て息子のように遇されているという。騎士は、わずかだが結納金を納めるとも申し出ていた。 先代伯爵は、厄介払いが済むとばかりにその求婚を了承した。 ソランジュも否やは言わずに受け入れた。 許婚になった騎士は一度だけ伯爵の館を訪れた。 そのあとは、細々と文のやり取りが続いた。 ソランジュが十七になったら彼に嫁ぐことになっていたので、彼女は自分の婚礼衣装を仕立て始めた。 しかし、嫁ぐ前年の冬、流行り病で先代伯爵が亡くなってしまう。 喪に服すため結婚が一年先延ばしにされ、ソランジュは静かに嫁ぐ日を待った。 翌年の狩猟の季節、父の跡を継いだ兄が、国王の弟である公爵を連れて領地に帰還する。 公爵は、銀髪に菫色の瞳の美丈夫で、宮廷で絶大な権力をもつ皇太后の大の気に入りだった。そしてまた、漁色家としても有名だった。 兄伯爵がこの同い年の公爵の近づきになろうとしていたことは周知の事実だったが、公爵と伯爵がソランジュをめぐってどんなやりとりをしたのか、コンスタンスには知るよしがない。 公爵の滞在が十日に及んだころ、ソランジュは公爵の褥に侍った。 だまされたのかもしれないし、納得ずくだったのかもしれない。あるいは、自ら望んだのかもしれない。 ともあれ、公爵はソランジュを気に入ったらしかった。 毎晩のように部屋に呼んだばかりか、都の公爵の館に連れ帰るとまで言い出した。伯爵はもろ手を挙げて賛成し、大急ぎでソランジュの身辺を整理させたが、その最たるものが彼女の許婚だった。伯爵は結納金に書簡を添えて彼のあるじである子爵に送り返し、妹の婚約を一方的に破棄したらしかった。 伯爵は、ソランジュが許婚と連絡をとったり逃げ出したりしないよう部屋に閉じ込め、常に見張りをつけることにした。それがコンスタンスだった。 コンスタンスは、伯爵夫人の侍女になって一年程。 元々は没落した家に仕送りをするため、伯爵夫妻の娘の子守として雇われたが、そのうち夫人付きにされて夫人の浮気やカード遊びに伴われるようになった。毎晩のように酔いつぶれた夫人を屋敷に連れ帰ったり、情事のあとの夫人のコルセットの腰ひもをしめさせられたりするのに、ようやく慣れてきたころだった。夫人は、コンスタンスの冷めたところと口数の少ないところが使いやすいのだと言い、可愛がってくれていた。 伯爵が適当な侍女を異母妹に付けようとしたときに、コンスタンスをすすめたのも夫人だった。コンスタンスが伯爵の命令を黙って了承したのは、給金を倍にするという条件を付けられたからだ。 コンスタンスの新しいあるじは、仕えにくいことこの上なかった。 彼女は何度か侍従に許婚への手紙をことづけようと頼んで拒まれ、部屋を抜け出そうと試みても見つかって果たせなかった。 あきらめたソランジュが食事を拒み、泣き暮らすのを冷ややかな目で見ながら、コンスタンスは淡々と荷造りをした。 伯爵はときおり部屋にやってきては異母妹に言い含めた。 隣国の身分低い騎士の妻などより、今をときめく公爵の愛人になったほうがどれだけ幸福か。 貴族の娘の中に自分の望んだ結婚を許されるものなどいない。ましてやソランジュは貴族ですらない、伯爵が女中に手をつけて産ませた、ただ養われているだけの娘だ。家の役に立てることを誇りに思え、と。 ソランジュの荷物は驚くほど少なかった。宝飾品などひとつもなかったし、ドレスや靴はコンスタンスのそれより質素で時代遅れのものばかりだった。 許婚と交わしていたという手紙は、彼女が手ずから焼いた。 |