一籠の豊穣 若い尼僧が死んだ。 女は北の大国の皇女であり、南の小国の王妃であった。 女は、冷たい風の吹きすさぶ、実りのない土地で生まれた。伝統としきたりががんじがらめにする宮廷で、たくさんの腹違いの兄弟姉妹とともに育ち、国のために生きることだけを教え込まれていた。 九つの年に、女は南国の少年王のもとへ嫁がされた。 滅び行く北国は、手当たり次第に周囲の国へ人質を送り込んだのだった。 少年王は、幼な妻を妹のように愛した。 祖国の礼儀作法に忠実な妻に、自然でゆったりとした南国の暮らし方を教えた。 慣れぬ暑さに寝込むことの多い妻を見舞い、一晩中扇で風を送ってやることもあった。 北国生まれの王妃は、生の果実を食べたことがなかった。甘味といえば干した杏やナツメだけで、あらゆる植物はそのかたちで生っているものと信じていた。 少年王は食事のたびに妻に新鮮な果物を食べさせた。妻が子供のように喜び、驚く様子を見て王は笑った。 そのさまは、傍から見ればままごとあそびをする子供のようだった。 季節ごとに品目は変わったが、食卓には絶えず色鮮やかで美味な果実が並べられた。冬であってもそれは変わらず、王は王妃のためにだけの温室を作らせたほどだった。 色白な痩せぎすの少女は、たちまち髪と肌に色艶を取り戻し、可憐な佇まいで夫の傍らに立つようになった。 いっぽうで、王妃の連れてきた侍従は、新興の南国の富と権力を垣間見、絶え間なく祖国を憂えた。 王妃は十三で初潮を迎えたが、ふたりは同じ寝室で眠るだけだった。青年王もその側近たちも、いずれ妃は祖国に帰ってしまうものとわかっていたからだった。政とはそういうものだからこそ、王は、不憫な妻がせめて不自由なく暮らせるようにと、心を砕いていたのだった。 ある晩、ふたりの眠る寝室に、刺客が忍び入った。 王妃は、小さな体で夫を庇い、毒の刃を腹に受けた。 王は刺客を切り捨て、王妃に駆け寄った。 王妃は微笑んでいた。あなたがご無事でよかったと、そう言って意識を失った。 腹の傷は浅かったので、王妃は命を取り留めた。 王妃の傷が癒えたころ、王ははじめて妻を抱いた。 いらい、二人は睦まじい夫婦であり続けたが、子には恵まれなかった。 成婚から十年経った冬、王妃は故国に帰らねばならなくなった。 王は、行ってくれるなと妻をかき口説いた。戻っても、早晩祖国は滅びるのだと。 王妃は、黙って首を振った。 ある朝に、王妃は数人に見送られて旅立った。 王は、去りゆく妻に一籠の果物を差し出した。 温室で丹精された果実を、王みずからが妻のためにもいで寄越したのだった。 「持っていきなさい」 王がそう言うと、王妃だった女は童女のように笑った。 「だいじにいただきますわ」 「いや、みずみずしいうちに食べてしまいなさい」 女はずっしりと重い籠を受け取り、腕に抱きしめた。 そして、微笑みを顔から消さぬまま、車上の人となった。 女は兄皇帝により尼僧院へ送られ、そこで病を得て、短い生涯を閉じた。 数年ののち、北の大国は戦乱の地となり、間もなく滅びた。 ひとりの若い王が、新たにその地を制した。国は富み、繁栄を極めた。 彼は長く統治したが、生涯、玉座の隣を埋めることはしなかった。 関連作:「名の無い王妃」 |