風車の節 番外編
白湯の茶杯



 茶箱を抱えた草祥は、廊下でひとり、立ち尽くしていた。
 てのひらに、まだ、珠里のか細いからだの温もりが残っていた。
 思い出すのは、裏庭の納屋の脇で、しゃがみこんで泣いていた彼女だった。年は六つか七つか、それくらいだったろう。
 きれいな着物を着ているした、やわらかく白い肌には、大奥さまの折檻のあとが絶えなかった。練り鞭をつかわれ、ひどいときには熱い煙管をおしつけられた傷跡が痛ましかった。
「お嬢さん」
 草祥が腰を屈め、薬を付けてやろうとする。
 二つのお団子にまるめた赤い髪、小さな陶器のような耳を見下ろしながら待っていると、珠里はちょっとためらったあと、遠慮がちに手を差し出してくる。
 草祥は、小さな小さなその手を握る。
「染みますけど、がまんしてください」
 珠里は目に涙をため、小さく顔をしかめた。
「うん」
 桜色のまぶたをぎゅっと瞑り、唇を噛んで声をこらえている。
 大奥さまにぶたれるときも、こんな顔をして耐えているのか。こんないたいけな子供を折檻するなど、正気の沙汰とは思えなかった。
 怒りがこみ上げ、草祥はおのれの無力を思い知る。
 丁稚の倣いが骨まで染みた自分には、大奥さまやだんな様に意見することなどできはしない。珠里を見つけて手当てし、慰めるだけでせいいっぱいだ。
 珠里は広い家のうち、あちこちに隠れた。
 草祥が心配して自分を探さないように、見つからないように。
 けれども、草祥は鼻のきく犬のような素早さですぐさま珠里を見つけて手当てし、慰めた。
 そのうち大奥さまが病を得て床につき、珠里は店のした働きをする傍ら、彼女の面倒をみるようになった。旦那さまが珠里を他の丁稚や下女と同じに扱っても文句一つこぼさず、その手をぼろぼろにして働き続けた。草祥はかげながら手助けをした。
 草祥は、珠里が、働かずに済むようになればよいと思っていた。
 柔らかい美しい嬬裙を着て、家の奥で花を愛でたり刺繍をしたりするような、穏やかな暮らしを送れるようになればよい。
 草祥はそれを珠里の幸せと信じて疑わなかった。
 あるいはそうであったこともあったのかもしれないが、今はもうわからなかった。
 珠里は扉の向こうで泣いているのかもしれない。そして、草祥に泣き顔を見られたいとは思っていないだろう。珠里に寄り添うのが自分ではいけないのだと、草祥にはわかっていた。
 草祥が珠里に残せたのは白湯の一杯だけ。
 あれがまだ温かいうちに、彼女の涙が乾けばよいのだけれど。
 彼は俯き、かすかに微笑んだ。









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