リュート弾きの娘 後 一座の面々は、数人が入れ替わっていましたが、ほとんどがかつてのままでした。 座長は風のうわさで、リュート弾きの娘が密通の罪を犯し、目を焼かれて追放されたことを知っていました。座長は城に挨拶に上がり、王さまと久方ぶりの対面をしました。 「あれが不義を働いたとか。事実であれば、申し訳なく思います」 「しらじらしいことを言う。あれの相手はおまえの一座の者だろう」 王さまが吐き捨てるように男の名を挙げると、座長は顔色ひとつ変えずに言い返しました。 「われわれの一座に、そのような名の者はおりません」 「では、手紙はなんだ。あの娘が後生大事にしまっていた恋文は」 座長は、冷たい声で、王さまにこう告げました。 「あの娘が読めるのは譜だけです。文字もわからぬのに、人知れず恋文を交わすなど、できるはずがありません」 座長はひざまずいたまま、静かに続けました。 「あの娘は、何もかも捨てるつもりでこの城に来たのです。赤子のときから肌身離さなかったリュートでさえ。あなたのあの娘への心が嘘ではないと思ったから、思われて幸せになれると思ったから、あの娘を置いていきました。ですがどうやら、思い違いだったようです」 言葉に詰まる王さまのもとを、座長は悲しげな顔をして辞去しました。 王さまは女の館に馬を急がせました。 女は、館の中庭で揺り椅子に腰かけ、リュートを抱いて歌っていました。王さまの馬が歩み寄っていくと、蹄の音で気付いたのでしょう、顔を上げました。 王さまは、尋ねたくてしかたありませんでした。 おまえには、心を残した恋人などいなかったのか。手紙を知らない、わからないと言ったのは本当だったのか。毒杯と短剣とを突き付けられて、毒を飲んだのはなぜか。 あの丸々肥え太った下種な男に拾われたとき、身ごもっていたのは誰の子か。 私のことを、憎まなかったのか。恨まなかったのか。 王さまは馬を下りました。娘は微笑んで立ち上がり、リュートを椅子に置いて、王さまに近づいてきました。 小さな手が空を探ります。王さまはその手を握って、娘を抱き寄せました。娘は王さまの胸に顔を埋めました。まるで、確かめるように。 か細い体を抱きしめながら、王さまには、尋ねたいことの答えがわかっていたのです。 王さまは、馬に積んできた、一つの荷物を下ろしました。四年前、女に毒を与えて追放したあと、どうしても捨てられなかったリュートでした。王さまは布ぐるみと油紙をそっと剥がし、それを女に抱かせました。 「新しいリュートですか?」 女は、相手からの答えがあるとは思っていないのでしょう。 女の手が優しく、その黒い首を、梨のように丸みを帯びた胴体を撫でました。そして、繊細な木彫りのローズに触れたとき、女はあっと小さな声を出しました。探るように糸巻きを順々に摘み、覚えのあるだろう形を確かめて、女は泣き濡れた顔でその美しい楽器を抱き締めました。 「嬉しい。捨てられてしまったとばかり……」 女は、驚いてはいませんでした。王さまは言葉もありませんでした。 女はリュートを抱いたまま、王さまは馬を放したまま、ふたりで中庭の土の上に腰かけて、ぽつりぽつりと話をしました。 密通の罪は濡れ衣だったこと。誰が仕掛けたことなのか、娘にもわからないこと。毒と短剣を突き付けられたとき、死のうと短剣を取ろうと思ったが、彼の祖母の形見の短剣を汚すことはしのびなく、毒杯を選んだこと。 着の身着のままで放浪するうち、行き倒れたところを旅芸人の一団に拾われたこと。身ごもっていることがわかり、客をとれない役立たずと言われて追い出されそうになったこと。リュートを弾けると話したら、渋々連れて行ってもらえたこと。旅に耐えかねたのか、お腹の子が流れてしまったこと。名も知らぬ村に、その子のために小さな墓を作ったこと。 王さまのことは、再会したその日に気づいたのだと、娘は言いました。 「お声は聞かなくても、匂いや、足音や、衣擦れの音で、きっとそうなのだろうって」 女は微笑みました。 でも、やはり、かつてのあの優しい表情ではありませんでした。どこか憂いを帯び、物悲しく見えました。 「尋ねてみようかって、何度も何度も思ったけれど、もしも違ったらこわいから、聞けないでいました」 王さまは女を強く抱き締めました。 すまないと、何度も何度も繰り返し、娘の小さな両てのひらにくちづけを落としました。女に濡れ衣を着せたのは、おそらく自分の父ぎみだということも、女に打ち明けました。王さまは、許してほしいとは口にしませんでした。そして女も、何も言いませんでした。 日が落ち、涼しくなってきました。 下女から声をかけられて、王さまは女のひざから顔をあげました。女を部屋に送り届けると、王さまは、城に引き返していきました。 数日後、女のもとに医者がやってきました。女の目を診るというのです。 毎日のように違う声の医者が館を訪れましたが、女の目を治せるという者はひとりもいませんでした。 次にやってきたのは、御者と、馬をたくさん繋いだ馬車でした。女から子供の墓の場所を聞き出し、そこに連れてゆこうというのです。女はそれを丁重に断りました。 最後にやってきたのは、都にとどまり興行している最中の、旅の一座の座長でした。 彼が、リュートが聞きたいと言ったので、女は応じました。 一曲が終わったあと、彼は女に、帰っておいでと言いました。一座は大きくなって、リュート弾きは何人でも必要だ。おまえの手も耳も鈍ってはいないし、おまえを悪く思うものなど一人もいない。旅をすれば心が軽くなる。つらい思い出が多いなら、もうこの国には二度と来なければいい。いつか、傷が癒されたときに、訪れることもできるのだから、と。 女は心揺さぶられました。 温かく懐かしい家族の中に、帰ってしまいたいと思いました。でも、うなずくことはできませんでした。 「なぜ? あの方は、おまえから何もかも奪った方だ」 座長は去り際に尋ねました。 何も映さぬ瞳に涙をいっぱいに浮かべ、女は言いました。 「あの人は、私のリュートを褒めてくれた。きれいなものをたくさん知ってるのに、はじめて興行を見る子供みたいな顔をしてた。私は、あの人が最後のお客さんでいい」 そして、父親のように思う男に、あのときは言えなかった、別れの言葉を告げました。 座長が帰ってゆくと、女は館の客間で、ひとり、リュートを奏でました。 どうしても、思い出したい曲があるのに、なぜだかかないませんでした。 それが、女が子供の墓に行けない、たったひとつの理由でした。座長に聞いてみればよかったと、女は思いました。 どれほど時間が経ったのか、遠くから、知った足音が近づいてきました。女が立ち上がると、歩み寄ってきた王さまは、そのからだを強く抱き寄せました。 なぜ行かなかったのだと、王さまは押し殺した声で女の耳元に囁きました。 女は答えませんでした。 答えない代わりに、王さまの顔にくちづけました。 眉に、まぶたに。鼻に、唇に。 女は、はじめて彼のためにリュートを弾いた晩、彼の見せたはにかみを、暗闇の中に思い出しました。 忘れたのは、子守唄でした。 でも、いつかきっと思い出せると、女は思いました。 そのときは、この人ととともに、花をたくさん携えていこう。 女は王さまの頬に顔を寄せ、微笑むのでした。 |