花冠の王





 非道と乱倫を極めた王が死んだ。
 王を斃した大公も死んだ。王の息子が、父の仇を討ったのだった。
 玉座の前に、大公の一人娘が引き立てられた。皇太子の同年の従妹であり、幼馴染みでもある公女であった。縄打たれた公女は、唇を噛み締めて顔をあげ、視線を揺らさなかった。処刑と恩赦とを求める声が飛び交うなか、皇太子はただ一言、これを牢に封ぜよとだけ発した。
 二人は静かに見つめあったが、それだけだった。
 娘は投獄された。娘は暗く豪奢な牢獄でひとり、首切り役人を待った。しかし、いつまで経っても皇太子の沙汰はくだらなかった。
 娘は、父母を思った。母は一年前に自害した。王の寝室で首を括ったのだった。父は、皇太子により処刑された。
 次に、母を殺し、父に殺された王を思った。伯父ではあったが恐ろしい人だった。母を自害に追いやった後は、娘にまで手を伸ばそうとしていた。
 そして、自分を殺してくれない男のことを思った。
 幼い頃、娘は彼と、王城の庭の片隅で戯れに結婚を誓った。彼は娘に白詰草の花冠をくれた。過ぎ去った日々は遠く、あまりに眩しかった。
 秋が終わり、冬が過ぎ、春が訪れた。先王の喪があけ、皇太子が即位した。
 娘はその日から食事を絶った。娘は日に日にやせ細り、弱っていった。
 ある夜、娘の部屋の重い扉が開かれた。供のひとりも連れず、即位したばかりの王がやってきた。寝台のなかで起き上がれない娘を見つめ、声を絞るようにして静かに告げた。
「尼僧院に行け」
 娘は首をふって拒んだ。
「いいえ。このまま父と母の元にまいります」
 王は苦い顔をして、命じた。
「尼僧院に行け。そこで生きていけ」
 娘は朦朧とする視界のなかに、従兄の瞳を探した。
「いいえ、いけません。生きていれば、あなたの足かせになってしまう」
 若い王に敵は多かった。彼の地位は磐石ではなかった。
 娘が生きている限り、娘を利用しようとする者が現れないとも限らなかった。しかし、彼がその手で娘を殺せば、大公についていた者たちが彼を糾弾するだろうことはわかっていた。
 枯れ枝のようにやせ細った、娘の手が持ち上がった。
「私も、あなたの歩みを止めることはしたくない」
 公妃は、兄への忠誠心と良心との間で悩む夫を知っていた。王は人質を取るつもりで公妃を王城に呼び寄せ、伽を命じたが、公妃は身を汚される前に腰帯で首を括った。それが父の心を決める一手となったのだ。
 母は何も言わずに王城にあがって、そこで死んだ。父は娘に、逃げ延びてくれと言って戦に立った。娘は、誰にも知られずに死ぬことも、どこか遠くに行くことも、尼僧院に隠れることもできた。
 かさついた指で、王の衣服の袖に触れた。王は肩を揺らし、その手を握った。
「死ぬな」
「いいえ」
 娘は微笑んだ。
 最後まで、彼に否としか言えなかった。
 それが哀しいのは、自分が彼を愛しているからなのだと知った。
 若い彼も、先王の暴虐に心を痛めていた。身を挺して実父を諌め、廃嫡されかけたこともあった。ただ、大公は先走る形で兵を挙げ、国王をその手にかけた。皇太子である彼は、大公を罰せねばならなかった。本当は娘のこともただちに裁かねばならなかったのだ。
 かつて、添えることを夢見た男だった。戦乱の中で引き裂かれても、彼の身を案じなかった日はなかった。結ばれることがかなわなくなったとしても、生きてさえいれば、いつか再び会うことができるかもしれない。年老いて、若さも美しさも、地位も権力も手放してしまったあと、ただお互いのことだけを思える日がくるかもしれない。
 かなわぬ夢は燃え種にして、娘は彼の道を照らしたかった。
「どうか、ご立派な君主におなりください。迷いはわたくしが、冥府に攫ってまいります」
 彼が、呻くように娘の名を呼んだ。
 それが耳に甘く、とても優しく、娘は一度だけ、小さく頷いた。
 娘は、閉じた瞼に幸せだった季節を描いた。彼に貰った小さな花冠をてのひらに思い出した。
 そうして安らかに眠りにつき、目を覚まさぬまま春の終わりに死んだ。
 王は、乱れた国を平らかに治めた。
 春ごとに彼は遠乗りに出かけ、娘の墓に花冠を手向けた。
 零れた種が芽生え、花が咲いては枯れるを繰り返した。
 数十年ののち、彼もまた、白詰草の繁る園に葬られた。