愛人からの最後の書簡 親愛なるアルテュールさま。 あなたがこの手紙を読んでくだすっているということは、私はもう死んでいて、あなたはそれをご存知になり、ここまで来てくだすったのですね。 自分からあなたのもとを去っておきながら、このように手紙を残すのは、何の未練かとお思いでしょう。 自分の名前さえ綴るのがやっとだった私に、あなたは根気強く言葉を教えてくださいました。私は小説を読み、詩を読めるようになりました。でも、あなたに文字を教えていただかなければよかったと、私は一度だけ後悔したことがありました。 思えば、あなたに父の遺産ごと買われた日からはじまったことでした。 私の父は――亡くなるまで、私は父とは知りませんでしたが――道楽としては過ぎるほどに莫大な金をかけて、中国の品々を収集していたひとでした。 私の母を囲うようになったのも、きっと趣味が昂じてのことだったのでしょう。父は、母の後にもたくさんの同じ肌の色の女性と関係していたからです。 私は、あなたも同じように、中国趣味で私を愛人になさったのだとばかり思っていました。あなたは父の残した収集品のひとつひとつを、大切そうに検分なさっていましたから。 私は混血の私生児で、母と早くに死に別れたためにひどくいやな思いをしてきたので、小さなころから家族というものにたいそう憧れていました。母と同じようにはなるまい、愛人になど身を落とすくらいなら死んだほうがましだとも思っていました。そのいっぽうで、私のような女を娶ってくれるひとがいるはずもない、ならば生涯独り身を通すのみだと、諦めてもいました。 ですから、私を金と引き換えにしたあなたを、はじめはひどく憎み、おそれたものでした。あなたのもとから逃げようとして、あなたの借りてくださっていたアパルトマンを飛び出し、下男に捕まったこともありました。うまく逃げ出すことができても、結局はあなたのもとに帰ることになりました。 けれど、あなたははじめから寛大なパトロンであり続け、私に自由を許し、私にとっては信じられないほど暮らしをさせてくださいました。黄色い肌を恥じる私を、美しい場所へと旅行に連れて行ってくださり、美味しいものを食べさせ、おしげもなくあらゆる場所に連れ出してくださいました。あまつさえ自分ひとりを男と思う必要はないと言い、暗に不貞をそそのかすことまでしたのです。 あなたはいつも言葉少なで、表情もあまり変えず、寝台のなかでさえ甘い言葉のひとつもくださいませんでした。かと思えば、本当の家族にするかのように気遣ってくださいました。私には、あなたを理解することができませんでした。でも、それはあなたを理解しようと試みたからわかったことで、そのときにはもう私はあなたのことばかり考えるようになっていました。 あなたに文字を教わり、詩を教わり、ダンスの手ほどきを受けて、私はあなたの愛人として恥ずかしくないよう、必死で勉強につとめる日々でした。あなたがよくできたと短く褒めてくださることが、私の喜びだったのです。 私があなたのお役に立てて、嬉しいことが他にもありました。あなたはいつもとても冷静で、完璧にものごとをこなす方でしたけれど、ときたま冗談のような信じられない忘れ物をなさることがありました。 あなたが私のアパルトマンに大事な書類を忘れておしまいになったことは、六年の間に一度や二度ではなく、私は急ぎ支度をして忘れ物を抱えて出かけるたびに、あなたにお会いできると胸を高鳴らせていたのです。 そんな子どもじみた自分が恥ずかしく、私はあなたの前で精一杯、世慣れた愛人を演じようとつとめていました。 私が最近まであなたひとりしか男の方を知らなかったことに、あなたは気づいておいででなかったでしょう。私はあなたにあてつけるように、サロンや夜会で殿方にちょっかいをかけ、誘いに乗るふりをしていましたから。 あなたが母を愛していたことは、あなたにお会いして三年後に知りました。あなたのお部屋には不釣合いなほど粗末な宝石箱のなかにおさまった大きな指輪と小さな指輪、その内側に彫られたあなたの名前と母の名前。文字さえ読めなければ、私は一生気づかずにいたでしょうに、そのときに私はすべてを理解したのでした。 あなたが私を引き取ってくだすったのは、私がかつての恋人の娘だったから。あなたが私を愛人にしたのは、私が恋人を奪った男の娘だったから。あなたが、時折胸が苦しくなるほど熱く私を見つめてくだすっていたのも、私が中国の品々に触れているのを切なそうなお顔でご覧になっていたのも、すべて母を思い出してのことでした。 あなたの一番大切な忘れ物は、既に亡くなった私の母に捧げるはずであった、あの白金の指輪に他なりませんでした。 私は、もう一度あなたを憎もうとしました。 でも、できませんでした。 私を、父が母にしたように扱うことで、あなたの心は晴れたのでしょうか。私の存在が少しでもあなたの慰みになれていたのなら、私はそれでよかったのです。それだけを思い、あなたに捨てられる日がくることに怯え、あなたのお側にいた日々は、たった二年に過ぎませんでしたが、ひどく長く感じられました。 逃げ場のない思いに倦み果てていたなか、私はクロードに出会いました。彼は若く健康で、良家に生まれ、何もかもに恵まれた、私にとってはとても眩しいひとでした。 彼が私を美しいといい、好きだと言ってくれたことは、涙が出るほど嬉しいことでした。私は、私を私として求めてくれるひとの情熱に抗えず、身を許しました。 あなたはそれに気づいていらしたのに、一言も私をお責めになりませんでした。 クロードは、私のために何もかも捨ててくれると言いました。若さゆえの言葉には違いなかったでしょうが、結婚しようとまで言ってくれました。私は、クロードとともにあなたのもとを去りました。あなたはやはり、そのときも私を引き止めることさえなさらず、旅費にと一袋の金貨を握らせてくださいました。 クロードとパリを離れた直後に、私は彼とも別れました。結核にかかっていることがわかったからです。気づいたときには既に遅く、治る見込みはありませんでした。 未来ある身のクロードに、死にゆく私を見せるのはしのびなく、私は心変わりをしたふりをして、彼にひどい言葉をかけました。放埓な女を演じることには慣れていましたから。彼が私を取るに足りない女と思い、やがて忘れてくれるように、ひとかけらの情も私に残さないように。 彼を傷つけたことは悔やんでも悔やみきれませんが、私にできるのはそれくらいしかありませんでした。 それに、もしも私が生き永らえるとしても、いつか私は己の心が彼にはないと気がついていたはずですから。 もうすぐ、私は羽ペンさえ握れなくなります。 あなたの前ではいつも凛として、美しくしていたいと思っていたから、見苦しい格好の私をお見せせずに済んだことに、安堵しています。病に衰えた私の姿も、想像してほしくはありません。 母と同じ病で、母と同じように、厭いぬいたおのれの血を吐きながら死ななくてはならないのは、めぐり合わせだというほかありません。ただひとつの救いは、私が自分の子を残さずに済んだということです。 いつか、あなたに、私が何のために毎日薬を飲むのかお尋ねになったことがありましたね。あれは中国渡りの生薬で、血の巡りをよくするための薬でした。あれのおかげで、私はあなたのお側にいた六年のあいだ、一度も身ごもらずにすんだのでした。薬にはめまいや貧血といった副作用を伴ったので、飲むのをやめようと思ったことも度々でしたが、自分の血を残したくなかった私には、結局は手放すことができませんでした。 あなたと離れ、死の床に眠るようになって、私はやっと認めることができました。 あなたに別れを告げたあの日、私はきっと自分から言ってしまいたかったのです。あなたを愛していると。 叶えられるためではなく、受け入れられるためではなく、あなたに笑われてしまっていたとしても、自分自身のために、告げていたかったと思うのです。 この手紙は、私の世話をしてくれている、ホテルの支配人に預けます。もしもあなたがいつか、私が死んでいたことを聞いて、私の消息を訪ねてくだすったとき、この手紙はあなたの手に渡るでしょう。 そんな日は来ないかもしれないけれど、もしもあなたがほんの少しでも私のことを心配してくだすって、このホテルをお訪ねになったのだとしたら、私の詮無かった恋もいくらか報われるでしょう。 あなたは天に召されて、私の母にお会いになるでしょう。 そのときには、どうか、あの指輪をお忘れにならないでくださいまし。 愛を込めて、あなたのシノワズリより。 |